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【短編小説】真夜中2時のルーティーン

部屋にあるペットカメラ
blackbox

「これで留守番中も様子が分かるね」

莉子は新しく購入したペットカメラの設定画面を開いていた。画面の中では、リビングに設置したばかりのカメラが映し出す映像が動いている。愛猫のルナが、部屋の隅でくつろぐ姿が鮮明に映っていた。

黒と白のまだらながら、どこか気品のある毛並みを持つアメリカンショートヘアのルナは、莉子の声に小さな返事のような鳴き声を返した。

保護猫カフェで出会ってから2年。人の気配を感じると姿を消してしまうほど警戒心が強かったルナだったが、莉子の規則正しい生活に少しずつ馴染んでいった。今では誰よりも相性の良いパートナーだ。

在宅勤務が週2日になってから、出社日のルナの様子が気がかりだった。同僚の美咲がペットカメラを使い始めたという話を聞いたのは、ちょうど先週のこと。レビューを見ると、高評価が並んでいた。値段は少し張るものの、スマートフォンで簡単に確認できて、動画の保存もできる。迷う理由は見当たらなかった。

「あ、動いた」

テスト設定のために離れた場所に移動すると、すぐにスマートフォンが震えた。通知をタップするとルナの様子が表示される。暗めの部屋でも、ナイトビジョン機能のおかげでしっかりと映像が見える。

莉子は満足げに頷いた。フロントエンド開発を担当するSEとして働く彼女にとって、新しいガジェットの設定は苦にならない。むしろ、こういった作業は好きな方だった。

埼玉の実家を出て、この東京のマンションに引っ越してきてからもうすぐ1年。両親は心配したが、ルナと二人の生活は思いのほかうまくいっている。35平米の1DKは決して広くないが、二人には十分な空間だった。

窓の外では、春の夕暮れが静かに迫っていた。最寄り駅まで徒歩8分。周りには同じような築年数のマンションが並ぶ、どこにでもありそうな住宅街。それでも、ここが今の莉子とルナの大切な居場所になっている。

莉子はソファの上で丸くなっているルナを静かに見つめた。その瞳には、何か言いたげな表情が浮かんでいるように見えた。


通勤電車の中で莉子は、スマートフォンの通知履歴を何気なく確認していた。ペットカメラを設置してから2週間が経ち、ルナの留守番の様子を毎日チェックするのが習慣になっていた。

通知の履歴を眺めていて、莉子は不思議な規則性に気づいた。深夜2時頃、毎日必ず通知が来ている。しかも、その時間帯の映像には共通点があった。

オフィスに着いてから、莉子は保存された映像をチェックしてみた。画面に映し出されるのは、ルナが部屋の隅でじっと座っている姿。どの日の映像でも、全く同じ場所で、同じ姿勢をとっている。

莉子は眉をひそめた。

休憩時間を使って設定を見直してみる。動体検知の感度を下げてみても、カメラを再起動してみても、状況は変わらなかった。

帰宅後、莉子はルナがいつも座っている場所を確認してみた。白い壁に向かって置かれた、シンプルな棚の前。普段、ルナがそこで過ごすことはほとんどない。

気になって、深夜の猫の習性についてネットで調べてみる。夜中に活発になるのは一般的な行動らしい。ただ、毎晩決まった時間に、同じ場所でじっと座り続けるルナの様子は、どこか不自然に感じられた。

その週末、莉子は郵便物を取りに1階に降りた時、マンションの管理人・鈴木さんと出くわした。

「星野さん、最近はお仕事も慣れました?」

いつもの穏やかな口調で、鈴木さんが話しかけてきた。

「ええ、大分落ち着いてきました」

「そうですか。猫を飼われてるんですよね」

「はい、ルナっていうんです」

「そういえば、前にもあの部屋で猫を飼っていた方がいましたよ。村井さんっていう方です」

莉子は郵便物を手に、少し立ち止まった。

「夜中に時々、水を飲みに来る音が聞こえるって、隣の方が言ってたことがあって。お薬を飲まれる習慣があったみたいで」鈴木さんは思い出すように言った。「今はもうこちらにはいらっしゃらないんですが」

鈴木さんはそこで言葉を切り、少し視線を落とした。莉子は黙って頷いた。

その夜、莉子は録画された映像をもう一度見直してみた。深夜2時。ルナは相変わらず、白い壁際でじっと座っている。ちょうどその場所は、以前の住人が水を飲んでいた場所なのかもしれない。

画面の中のルナは、いつもと少し違う表情をしているように見えた。それは、何かが見えている時の猫特有の、真剣な眼差しだった。


休日の午後、莉子は部屋の様子を細かくチェックしていた。カメラの設置位置、窓からの光の入り方、影の動き。SEとしての経験から、まずは環境要因を確認するのが自然だと考えた。

カメラの前に立ち、ルナが座る位置に移動してみる。窓からの街灯の光は緩やかに部屋を照らしているが、特に映像に影響を与えるほどではない。エアコンの風で揺れるカーテンの動きも、その場所からは関係なさそうだった。

莉子はマンションの防犯カメラの位置を確認した。エントランスとエレベーターホール。不審者が入り込める可能性は低そうだ。オートロックも正常に作動している。

「今夜、様子を見てみよう」

深夜1時45分。莉子は部屋の電気を消し、キッチンから様子を伺っていた。ルナは普段と変わらず、リビングをゆっくりと歩き回っている。

時計が2時に近づく。

ルナの動きが止まった。白い壁際にすっと座り、背筋を伸ばす。姿勢は録画映像と寸分違わない。

莉子は息を潜めて見守った。

部屋の空気が、わずかに変化したように感じる。温度計は変化を示していないのに、なぜか少し冷たい風が頬を撫でた。カーテンは微かにも揺れていない。しかし、確かに空気は動いていた。

ルナの耳が小さく動く。何かを聞いているような仕草。しかし、莉子には何も聞こえない。時計の秒針の音だけが、静かな部屋に響いている。深夜の静寂の中で、その音が妙に鮮明に感じられた。

5分が経過し、10分が過ぎ、15分が経った。ルナは耳をピクピクと動かし、時折首を傾げながら、何かに反応し続けている。その仕草は、誰かと対話でもしているかのようだった。月明かりに照らされた影が、壁にくっきりと映る。

やがて、時計は2時30分を指した。ルナは最後にもう一度だけ首を傾げ、ゆっくりとソファの方へ歩み始めた。まるで、誰かとの約束の時間が終わったかのように。窓の外では、街灯の明かりがいつもと変わらず、静かな夜を照らしていた。莉子の耳には、相変わらず時計の秒針の音だけが響いている。

翌朝、出勤前に莉子は隣の田中夫妻に会った。ちょうど二人で朝のゴミ出しに向かうところだった。空はまだ薄暗く、街灯が残っている。早朝の冷たい空気が、昨夜の記憶を鮮明に呼び起こす。マンションの廊下には、誰もいない静けさが漂っていた。

普段はほとんど会わない隣人と、こんな早い時間に顔を合わせるのは珍しいことだった。田中さんは紺色のスーツ姿で、いつもより早い出勤のようだ。妻は茶色のカーディガンを羽織っている。二人が手にした黒い袋が、まだ暗い廊下でぼんやりと揺れていた。

莉子は立ち止まり、何気なく夜中の物音について尋ねてみることにした。

しかし、田中さんは首を振った。奥さんは「古い建物だから、配管か何かかしら」と言って、首をかしげていた。穏やかな返事に、莉子は黙って頷いた。

玄関前の短い会話は、いつもと変わらない日常のように終わった。部屋に戻る途中、莉子はスマートフォンの中に眠る、あの静かな時間のことを思い出していた。


一週間が過ぎ、土曜日の午後、莉子はルナを連れて定期健診に出かけた。かかりつけの獣医に、そっと深夜の様子について相談してみる。しかし「夜行性の猫が深夜に活動的なのは珍しくありません」という一般的な返答が返ってきただけだった。ルナの健康状態はむしろ良好で、いつもより食欲があるくらいだという。

莉子は考えを整理してみた。

深夜2時のルナの不思議な行動。そして管理人から聞いた、前の住人・村井さんの習慣。どう考えても、理論的な説明はつかない。

その週末、莉子が管理費を支払いに管理人室を訪れると、鈴木さんは少し気にかかることがあるような様子で声をかけてきた。

「あの、星野さん。田中さんから聞いたのですが、夜中の物音のことで気にされているとか」

莉子は少し驚いた。確かに先日、田中さんに聞いてみたことはあった。

「ご心配をおかけして。大したことではないんです」

「いえ」鈴木さんは周りを確認してから、声を落として続けた。「実は、そのことでお話ししておきたいことが」

鈴木さんは静かな声で、前の住人について話し始めた。村井みどりさんは元小学校の先生で、身寄りのない一人暮らしだった。持病があり、深夜に水を飲む習慣があったという。半年前、突然具合を悪くして亡くなったそうだ。

その夜も、莉子は目を覚ましていた。

時計が2時を指す。

ルナが静かに立ち上がり、いつもの場所へ向かう。背筋を伸ばし、耳を小さく動かしながら、何かに耳を傾けている。

今夜は月明かりが部屋を優しく照らしていた。窓から差し込む光の中で、ルナの毛並みが銀色に輝いて見える。

その時、莉子は気づいた。この不思議な光景を不気味に感じなくなっていることに。深夜2時のルーティンは、ただの謎ではなく、この部屋に刻まれた大切な記憶なのだろう。

カメラの映像を通して見つけた不思議な出来事。証明することも、否定することもできない何か。それは、この部屋で過ごした人々の小さな痕跡のように思えた。

ルナは今夜も白い壁際で静かに座っている。月明かりに照らされた姿は、いつもより凛としているように見えた。時折、小さく耳を動かし、見つめる先で何かを感じ取っているのか、柔らかな仕草で反応している。その様子は、どこか懐かしい人と再会を果たしたかのように、穏やかで安らかだった。首を傾げ、まるで優しい言葉に耳を傾けているかのようだった。

それから数週間が過ぎた。真夜中の通知音に目を覚ますことはもうない。莉子は、この不思議な時間を解き明かそうとはしなくなっていた。
ただ、月明かりの差し込む夜、ふと目が覚めることがある。そんな時、莉子はスマートフォンの画面に映る、ルナの小さな物語をそっと見守るようになっていた。ルナは今夜も、誰かと静かな時を過ごしているのだろうか。

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