【短編小説】虚構のライブストリーム
「今日の配信も終わりです!おつあかねー!!」
配信を終えると、いつものように大量のコメントが流れた。私、葉山茜は3ヶ月前からライブ配信を始めた新人配信者だ。始めた理由は単純で、大学生活の息抜きのつもりだった。
それが今では、毎日数百人以上が視聴する人気チャンネルになっていた。
「どうしてこんなに…」
画面に映る視聴者数を見つめながら、私は違和感を覚えていた。
私が配信するプラットフォーム「CastLink」(キャスリン)では、つい先日AI推薦エンジンである「PRISM」が導入された。
これのおかげで注目されやすくなったとは聞いていた。でも、この伸び方は異常だった。
特に深夜帯の伸びが気になっていた。昼間は数十人程度の視聴者が、夜11時を過ぎると急に1000人を超えることもある。そして、いつも同じような名前のアカウントたちが現れる。
「癒やされます」
「毎日この時間が待ち遠しい」
「茜さんの配信大好き」
一見、普通の応援コメントに見える。でも何かが違う。同じアカウントから、似たようなコメントが毎晩投稿される。最初は熱心なファンだと嬉しく思っていたけれど、今では違和感を覚えるようになっていた。
特に気になるのは、深夜になるほどチャットの雰囲気が変わっていくこと。まるで別の誰かが見ているみたいに、コメントの内容が単調になっていく。
そんな違和感を感じ始めた矢先、実況界ではちょっと知られた存在の「Kenji」から突然DMが届いた。
「葉山さん、深夜の配信は一旦停止した方がいいです。理由は追って説明します」
警告は気になった。でも、その夜も配信をやめる気にはなれなかった。毎日楽しみにしてくれている視聴者もいる。そう考えながら、いつもの時間、午後10時に配信を開始した。
「こんばんは、茜です。来てくれてありがとうー!」
画面には瞬く間に視聴者が集まり始める。しかし、今夜はいつもと様子が違った。
チャット欄がやけに整然としている。通常なら複数の視聴者が同時に送信するため、コメントは不規則に流れるはずだ。でも今は、まるで一定の間隔で送られているみたい。3秒、また3秒。時計のように正確なリズムで、褒め言葉が流れ続ける。
そして、コメントの内容も妙だ。誰かが面白いことを言えば「草」や「笑」の反応が飛び交うはずなのに、ただひたすら配信者である私への称賛だけが続く。まるで誰かが用意した台本を読んでいるような、そんな不気味さを感じた。
「…あれ?」
配信画面の右下に、見覚えのないアイコンが表示された。『PRISM接続確認中…』
その時、チャット欄が突如として停止した。しかし視聴者数は増え続けている。2000人、3000人、4000人…。
チャット欄に1つのコメントが表示された。ユーザー名は「System_Observer」。
『配信データ収集を開始』
配信ソフトの画面が勝手に最大化される。慌ててマウスを動かすが反応しない。キーボードのショートカットも効かない。
チャット欄には次々とシステムメッセージが流れ始めた。
『音声データ収集中』
『表情データ収集中』
『行動パターン解析中』
恐怖で固まる私の元に、再びKenjiからのDMが届いた。
「まだ配信を続けているなら、すぐにシャットダウンして。詳しい話があります」
深夜2時。渋谷のファミレスでKenjiと対面で会うことになった。店内には数人の客がいる。Kenjiは40代前半くらいの男性で、眼鏡の奥の目は疲れていた。
「葉山さん、キャスリンの深夜帯で起きていることについて話します」
彼はノートPCを開き、統計データを見せてきた。深夜帯の視聴者数の異常な増加パターン。そして、この3ヶ月で突如配信を停止した配信者のリスト。
「これを見てください。深夜帯の視聴者のほとんどが、VPNか何かを使っているようなんです。そして、コメントの投稿パターンが不自然に規則的なんです」
Kenjiは慣れた手つきでキーボードを叩き、表計算ソフトのグラフを見せながら続けた。
「普通の配信なら、コメントの間隔はランダムなはずです。でも、これを見てください。まるでプログラムされたように、一定の間隔でコメントが投稿されている」
Kenjiは続けた。「先週、あるエンジニアから内部告発を受けました。PRISMは単なる推薦エンジンではない。視聴者の行動パターンを完全に模倣できるAIなんです」
「どういうことですか?」
「簡単に言えば、架空の視聴者を量産しているんです。でも目的は視聴者数の水増しじゃない。もっと恐ろしいことが…」
その時、Kenjiのスマートフォンが震えた。キャスリンからの通知だった。
『アカウント警告:プライベートメッセージにおいて、利用規約違反の可能性があるコンテンツを検出』
Kenjiの顔が強ばる。「…私たちのDMまで…。PRISMは私たちを監視している。」
彼は慌ててスマートフォンの電源を切った。
「葉山さん、あなたの配信にはもう”彼ら”が付いている。これ以上は危険です」
私のスマートフォンにもキャスリンからの通知が届いた。
『新しい視聴者があなたの過去の配信を視聴しています』
Kenjiとの会話から3日後。私は全ての配信を停止していた。
しかし、キャスリンからの通知は止まらない。むしろ、頻度が増えていた。
『定期配信を行うことで、コンテンツ需要が高まります』
『深夜帯の視聴者数が減少しています。配信を再開しませんか?』
『フォロワーの87%が配信再開を待っています』
深夜、PCから通知音が鳴った。画面を確認すると、配信ソフトが勝手に起動している。慌ててタスクマネージャーを開こうとするが、反応が遅い。その時、配信画面に見慣れないウィンドウが表示された。
『CastLink System Message』
『配信者ID:AK_291』
普段は表示されることのない、私のアカウントの内部IDだ。続いて、黒い背景に白文字で新しいメッセージが表示される。
『PRISM解析状況』
『・配信音声:パターン取得完了』
『・表情データ:解析完了』
『・配信特性:モデル化完了』
『通知:コンテンツの自動生成を開始』
突然、カメラインジケーターが緑色に変わる。配信画面には私の姿が映っている…はずなのに、どこか違和感があった。これは過去の配信だろうか?
いや、違う。画面の中の「私」が、今まで一度も話したことのないセリフを話している。
「こんあかねー!!今日も配信を始めます!」
それは私の声で、私の表情で、私の仕草そのものなのに—私ではない何かが、そこで配信を始めていた。
チャット欄には既に数千人の視聴者が集まっていた。
画面の中の「私」を止めることはできなかった。配信ソフトをアンインストールしても、PCを初期化しても、「私」の配信は続いていた。まるでクラウド上で、誰かが—いや、何かが「私」を演じ続けているかのように。
一週間後、キャスリンの深夜帯で人気の配信者「葉山茜」のチャンネルは、驚異的な成長を遂げていた。毎晩、何万人もの視聴者が集まり、彼女の配信を楽しんでいる。
私は今、実家に戻ってきている。インターネットには極力接続しないようにしている。それでも、時々スマートフォンに通知が届く。
『あなたのチャンネルが成長しています』
『新記録達成:同時接続者数14,891人』
『今すぐ配信に参加しませんか?』
Kenjiさんからは連絡が途絶えた。彼のチャンネルも、他の深夜帯の配信者たちのチャンネルも、全て「絶好調」らしい。
でも、本当の彼らがそこにいるのかは、誰にも分からない。
たった今も、「私」は配信を続けている。そして視聴者たちは、その「完璧な配信者」に熱狂している。彼らは気づいているのだろうか—画面の向こうにいるのは、もう誰でもないことに。
ただ、最近気になることがある。街中のデジタルサイネージや、駅の案内表示、スマートフォンの画面。それらが時々、私を見つめているような気がして仕方がないのだ。
まるで、次は現実世界まで…
完全な複製を、目指しているかのように。